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無知であってもいいのです。知らぬが仏と申します‼️

仏教で考える日常
挨拶
挨拶

今週もよくおいでくださいました🙇

朝はすっかり秋めいてきました。
半袖、半パンもそろそろ終わりでしょう。

みなさまには学びの秋となりますように😆

三毒の一つ「愚癡(ぐち)」
愚癡の中には物事を知らない無知が含まれるのですが、私はすべてを知る必要は全くないと考えます。

その理由は、知ったがために・・・・
「苦」を生じさせることがあるからです。

そのようなことが考えられる場合は敢えて知ろうとしない。

この考え方が必要になります。

聞いてしまった故に、責任が生じ、苦につながるのであれば聞かないことでしょう。


知る必要、知らないでいい必要。
このように物事には良い加減が必ずあると思うのです。

仏教ではこれを中道と呼び、両極端にならない考え方のことです。

知らないより知る方が良いように思われますが、知ることによって、苦を招き入れるのであれば敢えて知る必要はない。

浄土真宗の教え、他力も、仏教をよく学んでいる人の方が理解しにくいといわれます。

知識がありその知識が自力となり、真実の信心である他力の信心にならないのです。

無知な凡愚の方が素直にあっさりと他力の信心を獲得してしまうのです‼️

阿弥陀仏の他力により浄土へ往生する。
そこに自力は欠片も入る余地はないのです。

実は私たちの今生のお仕事でもそうではないでしょうか。

現代はネット情報などで中途半端な知識を誰もが持っています。

実はそんな情報は上っ面だけのペラペラな情報なのですが、偉そうに堂々と主張する輩が多く存在します。

その道のプロから言わしたら、まったく見当違いなこともネットでこう記されてた。と・・・・

それがもちろん正解の場合もあるでしょうが、一つ一つの物事はそれぞれ縁起が異なります。

原因も条件もそれぞれが異なるものなのです。

裁判などもその辺りのことを踏まえるべきでしょうが、判例であっさりと同種にしてしまおうとしています。

それが本当に正解なのでしょうか❓

ちょっと話がそれてしまいましたが、なんでも噛んでも知らんでいいんです😆

ただ知っておかなきゃならんことは、知識として知っておくべきでしょう。

しかし、知ることによって、将来の「苦」に繋がる知識は不要なんですよ。

私も昔はなんでもかんでも知らなきゃって、たくさんの情報をかき集め分析していました。

そして知識があると勘違い💦

ましてやその勘違い知識が、傲慢を招じ、苦を増大させる原因にもなりました。


肝心なのは、自分が実体験で経験したことは知識です。

やったことがないことは、単なる情報の一つです。

情報は知識ではありません。

情報には正誤が当然あると認識しておくことです。

例えの一つです。
セミナー講師なんかは情報を発信してるだけです。
本当に知識を持ってるかは、わかりません。
もちろんその講師が実体験したことは知識ですが。

昨今のSNSなども同じでしょう。
誰かの投稿を見て、情報を自分の知識と勘違いする。
そんな勘違い人間にならないにようにしましょう。

あなかしこ あなかしこ

戯言
戯言

今週のお話はいかがでしたでしょうか。

情報と知識の違い。
ご理解いただきましたか❓
頭でっかちにならんようにしましょうね。

最近感じたことですが
真面目な人ほど、人生危うい・・・・
これは真面目だから学ぼうとする。

しかし、その学びが誤りの場合もある。
他者に学びを求める。

悪いことじゃないように見えますが、他者は選択してますか❓ってこと。

この人の教えは間違いない。
そんな人から学ぶべきでしょう。
師を多数持つことは危険だと思います。

親鸞聖人も師は、法然上人ただ一人です。

たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふろう。
(たとえ法然聖人がおっしゃったことがでたらめであり、私は法然聖人に騙されて念仏をしたため地獄へおちたとしても、ちっとも後悔いたしはしません。)

歎異抄第二条にこう記されています。
このように教えを受ける師は一人で良いのです。
いろんな人に聞きたい。

あなたに確固たる自分がないからです。
だから、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ
まずは己を確固させることでしょう。

素敵な一週間を‼️

2026年9月13日 南無阿弥陀仏
釋正信

今週の一枚📸(2026年9月9日)

私の法話の会『正信会(しょうしんえ)』が開催されました。
二時間予定でしたがアッサリと二時間半💦
やっぱりわしはよぉ喋ります😆

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