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【義なきを義とす】義とは、はからいのことです‼️

仏教で考える日常

よくお越しくださいました🫡

サッカーW杯見られてますか❓
私は応援するチームがことごとく敗退💦
(日本、ブラジル、ノルウエー、イングランド)
決勝戦なんて、もうどっちでもいいなぁって😆

でもね、FIFAランキングってすごいですね。
結局ベスト4はランキングの1位から4位です。
3位決定戦は3位対4位、決勝戦は1位対2位です。
どのようなシステムか知りませんがすごいよなぁって思ってしまいました。

仏教もね、今生を生きるためには凄く良い教えなんです。
どう生きたら良いか。なんて学校では教えてくれませんからね。
少しずつでも共に学んでまいりましょうね‼️


先週のお題の続きみたいなものです。
【絶対他力】のお話をいたしました。
自分の思い・考え(自力)ではなく、私念を捨て、純粋に仏にお任せする。
このようにお伝えさせていただきました。

他力とは義なきを義とする。」

義とは「はからい」のことです。
「はからい」ないことが「はからい」とする。
この「はからい」は自分の「はからい」では無く
仏の「はからい」なのです。

他力とは仏と仏の「はからい」です。
人間の私たちが「はからえる」ようなものではないのです。
「はからおう」と、「はからう」ことが自力であり傲慢なのです。
だから、「はからわない」「はからえない」

この「義なきを義とする」は
普段の生活を考える上でも有効に用いる事ができます。

会社のために、子供のために、こうする。あぁする。
みんな、「はからっ」てますよね。
そして自分がはからった結果が、自分の思いと違った場合
こうしてやったのに・・・・って不満な気持ちになってしまう。

「はからう」からそう思うようになる。
「はからわなきゃ」いいのですが、そうもいかないこともある。
そんな時は「してやった」などと考えないことです。

所詮、人間のやること、成すこと、考えることです。
まずは自分が偉そうに「してやってる。」などと思わぬことです。
「義なき」で生きてればいいのではないでしょうか。

「してやった。」「はからった。」って、自意識を滅すればいいのです。
「してやろう」が、「はからおう」が、自分以外の対象が結果をだすだけです。
自分が「はからった」から、対象に結果を求めてしまうのです。

このように「はからった。」「してやった。」は無償の考えではないのです。
無償であれば結果を強く求めません。
ですから「はからい」「してやる」を「応援する」って置き換えれば無償になります。
まぁ、【絶対他力】の場合は、応援も不要とのことですが😆

このように仏の教えは現在の私たちにとって善き教えでもあります。
【義なきを義とす】この教えから「はからい」について学べます。
さらにその「はからい」が結果を求める執着に繋がる。
仏法は執着を滅することを教えていますから
「はからう」ことが執着につながりますから
「はからわない」ことが大事となります。

もし、「はからっ」てしまったら
その「はからい」は、弥陀の「はからい」として置き換えてみても良いでしょう‼️
すべては弥陀のはからいです。
あくまで自分は「はからい」を捨てることです。

あなかしこ あなかしこ

今週はなんにも「はからわず」に過ごしてみませんか😆
他人に対して「はからわい」ので変な期待もしないでしょう。
期待しないので結果をあるがまま受け入れることができるでしょう。
そのような生き方が「苦」を引き込まないことになります。

私は他者に対して「はからう」ことは当然ありますが
「はからった」とは考えていません。
私のやるべきことをやっただけ
そこに「はからった」という思いはありません。

このような考え方ができれば随分楽になりますよ。

素敵な一週間を🙇

2026.7.19 南無阿弥陀仏
釋正信

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