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【煩悩(ぼんのう)】と【心(こころ)】

仏教を学ぶ
挨拶
挨拶

御文章ブログへようこそ🫡

11月になりました。
プロ野球もシーズンオフ。
ここからは駅伝やマラソンです👀
昔はだるい中継と思ってましたが
経年と共に楽しくなりました。
こんなとこも「諸行無常」です😆

【煩悩(ぼんのう)】とは
人の心身を煩わせ、悩ませ、迷わせる
すべての精神作用の総称です。
欲や執着によって心の平穏や分別が失われ
苦しみが生まれる原因とされています。

拙僧は、その【煩悩】は
心が作り出すと考えます。

源信僧都の「往生要集」に
こんな記載があります。
「常為心師 不師於問」
常に心の師となるように心がけて
心を師としてはいけません。

心が目・耳・鼻・口・身体などの器官から
入手する情報から煩悩を発生させています。
情報だけでは事実だけであり
煩悩ではないのです。
心が煩悩を起こす原因ですので、
私たちは心の師となり
心をコントロールすることが
煩悩の発生や消滅に繋がるのです。

喜ぶな。怒るな。哀しむな。楽しむな。と
その都度、心の師として
教えていく日々の繰り返しにより
心が煩悩を作らなくなるのです。

一見、喜ぶ・楽しむは煩悩とは違うように
思われる方もいらっしゃいますが、
喜ぶ・楽しむが過ぎると
苦を招きますので煩悩なのです。

身体は生きるための道具だと
理解できるでしょう。
実は心も生きるための道具なのです。

よく間違われるのは
心=自分(己)の解釈です。
身体も心も自分(己)の道具なのです。
道具ですから
意のままに使えることが重要です。

この道具を上手に使うためには
まずは、丁寧に生きることです。
投げやりにならず、丁寧に感じる。
そして、心に丁寧に指示を出す。
たとえ怒りの感情が起こってきても
「怒ってなんになる。」って・・・・

丁寧に生きるためには
環境がとても大事となります。
まずは丁寧に生きることができる
整った環境を作りましょう。

あなかしこ あなかしこ

戯言
戯言

身体も心も道具である。
ご理解されましたか❓
では、「我とはなんぞや❓」
哲学者、中村天風氏は
このように応えられました。
なんの意思も感情も持たない【気】である。
そんな人生では味気ないので
心という道具が与えられた。と。

我(己)=気
こう考えるといろんな言葉が思い浮かびます。
「気魄」「元気」「強気」「弱気」「本気」・・・・
「気が付く」「気が合う」「病は気から」・・・・
昔の人は我とは、気だとわかっていたんでしょう。

身体も心も意ののままにできないのは
人として未熟だからでしょう。

人間力のある人とは
心を意のままにできる人です。
私もそうありたいと生きてますが
なかなか💦です。

「素振り」頑張ります😆

ともに学んでまいりましょう。

2026年11月1日
南無阿弥陀仏
釋正信

今週の一枚📸

心技体、拙僧は「素振り」で整えます‼️

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